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■ペットロスと獣医療  担当:小島

 家族が死ねば悲しい。これは当然のこと。(そうでない人もいるかもしれないが。)
だから、家族同然のペットが死ねば、悲しいのも当然である。
ただ、少しペットの死と家族の死で違うのは、家族はある程度の年齢であれば、
ほとんどのことは自分でやり、自分のことは自で面倒を見、
そしてそれぞれ個人の意志で個人の行動があるという点である。
ペットは飼い主の世話がない限り生きてはいけない。
飼い主なしにペットはありえない。
それは、飼い主にペットに対する責任というものを生じさせることになる。
そして、飼い主は。ペットの病死あるいは事故死に対してかなり責任を感じることになる。
私の考えでは、ペットの死は幼い子供を亡くした親の感覚におそらく類似しているものと思われる。
今日の日本では、ペットも家族の一員であり、
ペットが死ねば悲しいのは同じであるという考えが生まれ始めている。
しかし、ペットロスというものは、
ただ悲しいということを表現するだけでなく(家族の死の悲しみを家族ロスと表現しないように)、
ペットの死からなかなか立ち直れなくなり、やや精神病、神経症を絡む病気的症状を表現していると思われる。
あるいはペットの死をきっかけとして他の条件との関係から誘引的に生じた神経症、精神病を指すと思われる。


一応、ペットロスと獣医療という主題なのでそこにふれてみる。少し問題形式で書いてみようと思う。

〇獣医師はペットロス患者を救えるか?
単刀直入にいうと答えは『否』である。
獣医師も人である。他人の心の病を他人が救ったり、治したりなどできないのである。
心の病は風邪やケガとは違う。
立ち直るきっかけになることもあるかもしれないが
心の病は自分で自分の内面を見つめ自分で心の葛藤を乗り越えるしかないのである。

〇獣医師はペットロスを防げるか?
これも答えは『否』である。
症状を軽くすることは可能かもしれないが精神病神経症などの心の問題は
誰かがどうにかして防いだりできるものではない。
精神的、環境的、遺伝的要因あるいは自分のその時の心身状態が複雑にからまりあって生じてくるからである。
もし、獣医師が関わるとすれば、やはり、症状を軽くするか、重くするかであろう。

〇では、獣医師に何ができるか?
 1つは普段からのペットに対する飼い主の日頃の意識をしっかり持たせることである。
ずっと、飼い主がペットを一生懸命世話し大切にしていたなら、
ペットの死に対してペットロスを防ぐことはできなくとも、軽くすることができると思われる。
獣医療からは獣医師が予防接種や健康診断、飼い方など日頃の病気予防に対するケアの情報提供が大切である。
そして、難しいかもしれないが常に命に関することを考えるよう仕向けることである。
死ねば二度と生きて会えることはない、という事をペットが生きているうちに気付かないと遅いのである。
獣医師がペットロスを治したり防いだりすることはできなくても、症状をそれ以上重くしないように心配りすることはできる。
 もう1つはペットの死あるいは死に直面している状態の時、
獣医師自身がどのような態度をとったかということが重要になってくる。
獣医師が必死に治療し、あるいはその死に対し、どれだけ真剣に対処したかによっても飼い主の心の状態は左右される。
獣医師が「やっぱりダメかー」とか「ああ、死んじゃったー」とかヘラヘラしていたら(これは獣医というより人間的に問題があるが)、
飼い主は相当な心の傷を負うことになる。飼い主はいつもペットの死に対して自問自答する。
本当にあの時はあれでよかったのか、本当に自分はペットの死に際して最善の策をとっただろうか、
痛くなかったか、苦しくなかったか、
安楽死の方が良かったか、安楽死でない方が良かったか、
あの獣医師で良かったか、などである。
獣医師にできることは一生懸命やっても理解されず、恨まれることもあるかもしれないが、
常にペットと飼い主の関係に配慮した分かりやすい説明としっかりした治療の最善策の選択肢を提示し、
飼い主の意見をふまえ、真剣に取り組むことであるだろう。
そして、最後に、ペットの死の際に、獣医師は何を言うべきで、言ってはならないかを
その飼い主の性格に基づいて、判断していくことが大切である。
日頃、診ている患畜の飼い主であれば、多少はその飼い主の性格や考え方が垣間見えると思われる。
飼い主の性格によって言葉に対する感じ方も変わる。
ペットが「苦しんでいなかった」「痛くなかった」「あなたに感謝して亡くなった」「一生懸命生きた」「幸せだった」etc
.あるいは何も言わない。
ペットは言葉を話せないから、ペットの代弁は獣医がしてあげるしかない。
言葉はその場では対した効力は無いかもしれない。
何を言っても生き返ることはない。慰めにすぎないかもしれない。
しかし、そこでいかに後々引きずるような傷を、飼い主に残さないようにするか、
獣医は言葉を慎重に選んで話すかが大事である。
同じ言葉でも人によって感じ方は違う。
「そばにいますよ」と言われるよりも「天国に行きましたよ」と言われた方がいいかもしれない。
「感謝している」よりもいっそ「恨まれている」という方が気が楽だという人もいるかもしれない。
しかし、ここでは言うべきではないこと、言わなければ後悔することが出てくると思う。
後悔しても、命に関わることは二度と取り返しがつくことはないのだ。
獣医師は常日頃から対人関係にたいする修行も必要となるであろう。

ペットッロスー一言で言えば簡単なこの言葉も
それぞれ個人の心の複雑さも考えると簡単に表現できるものではないと思われる。


<参考図書>『犬と話ができる』小原田泰久:廣済堂出版
      『よい獣医さんはどこにいる』坂本徹也:WAVE出版
      『小さな命を救う人々』渡辺眞子:WAVE出版
      『心を病んだ犬たち』篠原淳美:KKベストセラーズ
 



   


―精神科医はペットロス患者に何をしてくれるのか?―

 (注:私の独断と偏見がかなり入っているので、参考程度にして、後は本でも読んでください)
 精神科というのは一般的に心の病を扱うところである。
といっても、それほど深刻な精神障害患者がたくさいるところではない。
ほとんどの患者が一般の人である。サラリーマンや主婦、老人、学生など多様である。
 心の病とは書いたが要は悩み相談所(解決するかは別にして)みたいなものだ。
普通の人が入りにくいと思うような堅苦しい施設ではない。
「寝られません。」くらいでも気軽に入っていいところである。
 私が見たところ精神科医は大別して二種類の性質の人に分けられると思う。
それは、相当な楽天家(良く言えばプラス思考家)か、自分も精神病歴を持つ人である。
精神科にいくと医者は患者の言っていることをカルテに速記する。
精神科医は話は聞いてくれるが、患者の話を肯定も否定もしないし、
意見も言わないで雑談のように話していく。
後は症状に合わせて精神安定剤や睡眠薬を処方する。
しかし、精神安定剤の軽いというものでさえ、
日にニ、三度も飲んでいたら、勉強や仕事など眠くてまともにできない。
ボーッとさせるための薬なのだから、当たり前だが。
 ペットロスの人に精神科やカウンセラーをすぐ勧める人がいる。
別に間違いではないし、むしろ気軽に行った方がいいだろう。
(カウンセラーは見たことがないのでよくはわからないが。)
しかし、精神科にあまり期待して行くとがっかりするかもしれないので先に言っておくと、
精神科医は精神病や神経症を治してはくれない。
薬だけで症状が改善すればいいが、精神科医は即、治してしまうという訳にはいかないのである。
風邪やケガとは違って皆が皆、同じという訳にもいかない。
精神科医ができるのは、患者が自分で心の葛藤を克服することができるようになるまでの時間稼ぎをすることだ。
患者が思いつめないようにしながら、マイナスからプラス思考へ方向転換するまで待つ。
精神科医は患者が自分で心を回復するためのサポート役、あるいは、見守り役である。
 つまり、ペットロスにしろ、何にしろ
本当に自分の心を理解できるのは自分しかいないということを理解しなければならない。
それは人から言われるよりも自分で気付かなければダメだ。
心の病はある程度、他人に(家族や友人も医者も含めて)、
そして自分にさえも「見切りをつける」、あるいは「開き直る」「ふっきる」ということをしなければ治らないように思われる。
ただ、精神科医も普通の人も立ち直るきっかけにはなるかもしれない。
周りの人はなるべく時間稼ぎに徹しあとは本人次第である。
 

<参考図書>『精神科医は何をしてくれるか』安藤春彦:BLUEBACKS:講談社


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